災禍の中の激動のひと月。
そんな中、写真のゼミのお題が「緑」だったので、地球上に酸素が供給され始めた時に遡って考えて見る機会がありました。
以前にもブログ上に、写真をあげたことがありますが、ストロマとライト。光合成によって、地上に酸素を初めて送り出しはじめたシアノバクテリアが積み重なって石のようになっています。
シアノバクテリアのような藻類が、より進化をするためには、この先自ら供給した酸素による環境変化や火山活動により、まだまだ気の遠くなるような時間がかかるのですが、シアノバクテリアがいなければ、今のような地球はなかったはずです。
今となっては、このストロマとライトが存在するのは、オーストラリアと南アフリカの数カ所のみ。砂漠に近い、塩分濃度の高い浅い海でしかそれは生存ができないのです。
自ら生み出し、進化を与えた生物は、その環境の変化から自らの生存数に制限を与えている。なんだか、全ての生物にこのようなプログラムがあたえられているかのようです。
人類の個体数が莫大に増え、環境が変化する。人類の拡大とともに変化しながら増えるウィルスが拡大するのも、人類自らの営みの中で起こす、犯罪や戦争なども、何かのプログラムされたものであるかのようです。
そもそも、エントロピーの法則というものが真実であれば、物質は変化をするがつねに”ある”ところから”ない”方向にしか動いていかないというのも、同じようなことではないかとも思ってしまいます。
コロナウィルスの災禍が続く中、職場がサイバーテロにあったり、Apple Dailyが廃刊に追い込まれたり色々あったひと月。ゼミの課題をしてコメントいただいてから、思い至ったこと。忘れないようにここに書き留めておきました。