こぶー休息中!

引っ越して来ました。おばブーの旅(主に香港)と映画の日々。

バイクの川、バイクの滝 ー 台北 2025年

元宵節のあたりに、台北に行って来ました。2023年に弾丸行って以来の台北、コロナがあって、その前は母連れの2016年正月。2015年は写真友達と。その前は、道場の台湾研修何度か行ったり、友達と香港〜台北の旅なんかもあったけど、一人は2002年が最後。びっくりだ。

 

この二十数年で、台湾も発展して社会情勢も世界情勢も、もちろん変わったこともあり、変わらなかったこともあり。

 

最初のホテルが近かったこともあり、あの"バイクの滝"で有名な大橋頭の陸橋下へ。

月曜朝に行かないとあの姿は拝めないらしいけど、面白くてしばらく写真を撮っていました。

バイクの姿を追っていくと、台湾と台湾を囲む状況が見えるような気がして。

初めて訪れたのは1989年だったかな。その頃、発展中の台湾の交通事情は激しくて、驚愕ものでした。

地下鉄がなかったから、台北の人々の通勤通学の移動手段はバスかバイク。

二人乗り以上のバイクも、当たり前のように走っていたし、桃園からの台北までの高速道路では、故障車か事故車が路肩に残っているのを見かけました。

 

今では地下鉄路線も増え、桃園空港から台北駅まで机場線で40分ほどで辿り着ける。

それでも、屋台が並ぶ狭い路地にもエンジンかけたままて走ってくるし、騎楼の下や、台北駅前や、総督府台北銀行の本店の周りにも無数のバイクが並んでいる。

 

台湾は自動二輪車保有率は世界トップなのだそう。メーカーを見ると、KYMCO、SYM 、電動のGogoroといった台湾メーカーのシェアが高い。日本のYAMAHAもまだまだ健闘中。

 

公共交通網が以前より発達したと言っても、台北市の人口密度は15,200人/km2。東京都23区と同じくらいの数字になります。バイクの必要性も違うのではないかと思います。

でもそれだけではないかとも思います。

周囲の状況にも関わらず、自分自身の力で目的の場所まで辿り着ける、自由で柔軟、縦横無尽なバイクの流れに、台湾の姿を投影して見たような気がしました。

 

 

辮髪のシャーロック・ホームズを歩く 〜荷李活道221乙にて〜

年始早々香港に行ったのは、”「辮髪のシャーロック・ホームズ」を歩こう”というイベントに参加するためでありました。原作者のトレバー・モリスさんと翻訳の舩山むつみさんと、小説の舞台を歩くという、画期的な企画。

 

今回の企画は、ネイホウ・ラジオというポッドキャストを運営している直子さんと舩山さん(実は中国武術の道場で、師姉妹なんです。)、モリスさんの3人によるもので、楽しい1日を過ごさせていただきました。

 

辮髪のシャーロック・ホームズ」(神探・福邇 字摩斯)はシャーロック・ホームズパスティーシュ。設定を19世紀末の香港に置き換えて、探偵福邇と華笙が活躍をする探偵小説となっています。

シャーロッキアンのみならず、19世紀末の香港の歴史や文化、風俗などを知ることができる、香港迷にも嬉しいエンターテイメント小説なのです。

ツアーは荷李活道公園から出発。シャーロックがBaker Street 221Bに住んだように、福邇は、荷李活道221號乙に居を構えます。

実際の221號あたりは、今はアンティークのギャラリーでした。

香港島は当時は皇后道あたりが海岸線であったようで、今では当時のものはほとんど残ってはいませんが、地形の高低や道筋はそれほど変わってはいません。

小説と、トレバーさんの解説で、次第に19世紀末の情景が浮かんできます。

ストーリーの背景には、今まで知ることのなかった当時の社会情勢がありますが、本にも詳しく解説されており、ほんとうに勉強になります。舩山さんの翻訳も、時代を感じさせる言葉で当時の雰囲気に浸ることができます。

今まで何度も歩き回ったあたりが、ちょっと違うものに見えて来ます。

 

このあと、太平山街から上環、地下鉄で銅鑼湾、トラムにのって中環、最終的には九龍城塞公園まで回りましたが、いく先々で先の2〜4巻の話がちらほらと出てきました。

日本語版は、今の所1巻目だけが出版されていますが、舩山さんは2巻目を翻訳中。年内には出版されるのではないかということですが、先の話が楽しみです。

どこまで、読めるかどうか確かではありませんが、中国語版買って来ました。でも、やっぱり日本語で読みたいよね。

日本の出版では、シリーズものが継続して出版されることはなかなか難しいということです。日本の読者の皆さんの、今後のサポートよろしくお願いしますと、トレバーさんも舩山さんもおっしゃっておりました。

 

 

Adventures in 2024

今年も今日1日、数時間を残すところとなりました。

今年を振り返ると、仕事上の変化の中、様々な活動をし、いろいろなところに行ったなあと思います。英語のプロジェクトワーク、オバマ朗誦しながら、写真のゼミ、広東語のオンラインクラスを継続。旅は3月のモンゴルに始まって、5月母を連れて陸奥旅。9月のSeoul、10月南紀・伊勢。11月奈良。いつもの年2回の高山。

ちょっと詰め込みすぎだったかもしれませんが、今できることは今のうちにしないとね。

とはいえ、なんと言っても、今年一番の冒険はMongol の旅でしょう。

あんな風景を見ることができるなんて、思いもしなかった。

今年一年、お世話になった皆さん、ありがとうございました。

2025年は、いつもの繁体字のある場所の旅からはじまります。

神代の昔から 〜熊野・伊勢

11月は、仕事や課題に押し流されそうになりながら、旅をしたり映画祭に参加したり、写真展に行ったり、盛りだくさんのなか、なんとか踏みとどまって終わりました。

今のうちにちょっと振り返り。

まずは、神話から歴史の始まり、それを見つめる近現代の旅から。

熊野は初めて。神武天皇八咫烏に導かれたという由来や素戔嗚の八岐大蛇やら、子供の頃に読んだ神話の世界が生きている土地だ。京都に日本の歴史を見るのとは、ちょっと違う感覚である。

日本人のアイデンティティの根拠となる(?)、神代の世界。歴史としては語られないはるか昔の世界。

足を伸ばして、お伊勢参り。ここには天照大神が祀られている。2000年ほど前というが、まだ神話の時代に近い。

天照大神が、倭姫に気に入ったととお告げをした五十鈴川。ここに建てられたのが伊勢神宮だ。

神宮は、皇族の祖先を祀っており、今もその関係性が強い。

古くから多くの参拝者が詣でたが、爆発的な人気を集めたのは江戸時代。日本の観光業の原型となったようだ。

そして、今も昔も伊勢には人々がつどう。なぜ、人々はお伊勢参りに行くのだろう。

眼福のアルアル書道展でモンゴル写真展示

先日、川崎で開催されたアルアル書道展のモンゴルブースで、モンゴル旅仲間たちと写真を展示させていただきました。

アルアル書道展は、モンゴル語、ハングル語、アラビア語ペルシャ語の書道の共同展示するという企画。

それぞれの言語の書道には、それぞれの文化的背景があり、初めて目にするようなものばかり。良い体験、眼福たっぷりの展示でした。

モンゴル文字やハングルの書道は、日本語と同じように筆で縦に書いたものですが、ペルシャ語アラビア語は、芦の筆を使い、文字をデザインのように配したり、美しいデザインや絵を施した髪の上に文字を書くと言ったような、日本人が持つ書道の観念とは随分違ったものでした。でも、本当に美しい。

知らない世界はまだまだたくさんあるのです。写真撮らなかったのが、ちょっと残念。

モンゴルのエリアには、書道の他に写真、モンゴルのアーチストの絵、モンゴルのグッズや羊毛の靴下などの販売がありました。モンゴル語で名前を書いてもらうこともできたり、モンゴル語の書き方帳もありました。

展示中、モンゴルの方やモンゴルに関わる方々にお会いして、色々お話しさせていただきました。

内モンゴルのアーチストの方がいて、彼はキリル文字モンゴル語は読めないけど、モンゴル文字モンゴル語は読めるのだと言っていました。内モンゴルの人は、当然ながら中国語(普通話)で教育を受けています。

以前、コーディネーターさんから、キリル文字は(日本でいうところのローマ字のように)社会主義時代にロシアから取り入れたものだけど、モンゴル語にはない音の文字は、あまり使わないのだという事を聞いたことがあります。

それから、ロシア人は、キリル文字モンゴル語を音読はできるけど、意味はわからないそうです。

ロシアにも、モンゴル族の人たちはいますよね。彼らはどうなんだろう。モンゴル文字はわかるのでしょうか。実際、モンゴルでは、社会主義時代にはモンゴル文字は公には使っていなかったということです。

同じモンゴル語を理解する人たちでも、社会状況が違う。日本人にはちょっと想像のつきにくいことなのではないでしょうか。

 

Seoul September 2024

9月の初めに、ソウルと近郊に行って来ました。20年ぶりぐらい?

懐かしい人に再会したり、この一年関わっている英語学校のProject Workのチームの方々やその繋がりで出会った人たちとの交流が中心の旅となりました。

初日、以前会社のソウル事務所にいた女性に再会し、彼女とソウルの街を歩き回りました。

読めないハングル文字の看板と車が右側を走ることを除けば、日本人の私たちにはあまり違和感のない街並み。その感じは20年前とそれほど変わりはないけれど、アジア通貨危機を経て、韓国の経済発展とともに、街は繁栄して、トイレはキレイで快適になっていました。

便利になったもので、キャッシュレスの進んだ韓国、円で入金して(その日の為替でウォン転)使えるキャッシュレスカードと交通系カードとして使える観光客ようのWOWPASSやら、SIM入れ替えないですむeSIMやら、空港についてからちょこっと手間掛ければ後の心配がいりません。20年前は、まだ海外で使えるすら携帯持ってませんでしたから。

eSIMを入れると、テキストで案内などが入って来ます。時々、ワーニングマークの入ったハングルのメッセージが来るので、韓国人の友人に聞いてみると、"北から飛ばしてくるゴミとか汚物の風船よ”と言う答えが。

 

3日目に、Project Workチームでソウル1日ツアーへ。ガイドさんの弾丸トークで、宮殿では李朝の歴史(王朝スキャンダル?!)、青瓦台では韓国の歴代大統領やら北の話だの、さまざまなことを聞かせていただきました。いやあ、面白かった。もっと色々知りたくなりました。

韓国の人は、やはり常に対外的な緊張感を持って生活をしている事を実感。対するは同じ民族の人たちです。あちらにも親戚がいるかもしれない。

日本人との違いは、ここにあるのでしょう。常に大国や危険な国がそばにいる。その中で生き残るには、外へ出て行き、自らを主張し、手に入れるべきものは諦めずに掴み取っていく。

よくも悪くも、日本人にないものがそこにある。

 

とはいえ、東アジア圏で、共通するものはたくさんあると思うのです。

屋根の瓦の上に乗ったものたち。香港やモンゴルでも、見かけるように。

 

35°C超えの日々に-35°Cの日々を思う

今年の夏は本当に暑い日々が続いています。外で何かするのが辛い日々です。

涼しさを求めて、3月のモンゴルの凍りついた湖の写真を見返しています。しかし、なんとも実感が湧かないものです。あれから色々ありすぎて、現実感がないっていうか。

でも、私は本当にあそこにいた。今と70℃の気温差のある世界。

こんな凍った湖の上を、車がガンガン走ります。

危険ではないかと思われるかもしれませんが、氷の厚さが測られて、その上を通れる車の大きさが規制されます。この凍った湖の上を走る方が早くて効率がいいわけで、冬場は人や物がこの上を行き交います。

春先に、湖畔の氷が溶け始めて、湖の氷上で立ち往生したという経験がある人もいるようですが。

氷はいろいろな表情を見せます。

凍った圧力で、亀裂が入ったり、御神渡りが走る。

青さも亀裂も場所によって表情を全く変えていきます。

季節初めに溶けて割れた氷がまた凍ったり、浅瀬の地面から上がった気泡がそのまま凍りついたり。全て人の手では、如何ともし難い自然が作り上げた形である。

ウランバートルでお世話になったドライバーさんが、最近香港に行ったという話をコーディネーターのモギさんが話してくれたことを思い出す。

彼は、香港の人たちは(そこまではっきり言ってたかどうかわからないけど)ランニングシャツと短パンがあれば生活できる。自分達モンゴル人は、たくさんの物を持ちすぎている(必要としすぎている)のではないかと思ったという。

ドライバーさんは、都会に暮らす人である。今ではモンゴル人の半数はそのようであるといえるかもしれない。

香港の話は別としても、本来人が生きていくためには、何が必要なのか、考えさせられる旅となりました。