ジョン・レノンやビートルズに関するドキュメンタリーの中で、反戦運動や
アメリカ政府との対立などをこれほどはっきりと描いた映画はなかったかもしれません。
試写会の開場の半分以上を占めたのは、50代位の方々。私自身はビートルズには
遅れた世代で、気が付いた頃にはもう解散していましたが、12歳ぐらいの頃に
はまってフアン・クラブに入会し、同い年の従妹といっしょにフィルム・コンサートに
よく出かけていました。私の洋楽好きの始まりが、ビートルズだったのです。
そういうわけで、私よりちょっと年上の方々と同じように、ビートルズやジョン・レノンに
関わる音楽や出来事に、昔の恋人に出会うかのように甘酸っぱい気分で見てきました。
ジョンがヨーコに出会って以降、自分の方向性をはっきりと自覚し、結局ビートルズとは
決別することになるわけですが、その彼の行動や思いはその曲や当時のフィルムなどで見て
理解していたつもりでした。でも、実は分かってなかった。この映画にはヨーコやFBIの人をも
含めた当時の関係者のインタビュー、ジョンがメディアにしてきた発言、当時の世相を映す
映像などで子供の頃に知ったジョンと、その後大人になってから知ったアメリカの歴史や
社会背景などが、自分の中で、まるでバラバラのパズルが組み合わさっていくように
具体的な形になりました。
ジョンが急進的な反体制運動の活動家たちと交流があり、様々なきわどい発言から
ニクソン体制の中、フーバー体制のFBIから目をつけられることになりますが、基本的な
彼の思想は平和的で("Revolution"や "Imagine"の歌詞で解るように) 、方法論は
"Peace Bed" "Give Peace a Chance"等)非暴力的なものでした。でも、なぜか社会に
誤解され、国家権力には反体制的とのスタンプを押されてしまいます。
彼が映画の中で“いつもトラブルに巻き込まれるんだ”って言ってましたけど、
彼は頭の回転が速くて、ちょっと皮肉屋。思ったことは口にせずにはいられない
純粋さも持ち合わせています。人よりちょっと先をいった発言が、人を食ったようにも
聞こえ、周囲の人を惑わせてしまうのです。そんな、ジョンの人となりもよく分かるような
大人になってしまった自分も発見しました。
そして、最後は4発の銃声。その日私は何をしていたかをしみじみ思い出しながら、
あれから27年、世界は変わったようで変わっていないよとジョンに伝えたくなりました。
12月18日、“ジョンの命日”ロードショーです。