こぶー休息中!

引っ越して来ました。おばブーの旅(主に香港)と映画の日々。

「グラン・トリノ」 Gran Trino

人間の生と死の厳しい現実を取り扱いながらも、こんなに穏やかな気持ちでエンドロールの最後を迎えられる映画は他にはないでしょう。今まで見たクリント・イーストウッド監督の映画の中でも、珠玉だと思います。

<ウィリー(クリント・イーストウッド)は、朝鮮戦争に従軍経験のある元自動車工。最愛の妻を亡くし一人暮らしとなったものの、気難しさから息子たちの家族から敬遠され、周りの人たちも寄せ付けない。愛車グラン・トリノが盗まれそうになった事件をきっかけに、隣に住むアジア系少数民族モン族の家族と関わっていく。>

ウィリーじいさん、ほんとに困ったオヤジです。孫や息子たちのやることなすこと気に入らず、いやみや悪態を連発。ご近所様には批判と差別発言。とりつくしまもありません。間違ったことは嫌いですが、キレると暴力に訴える。ダーティ・ハリーの老後、さもありなん。でも、彼の気難しさがどこからくるのか、次第に分かってきます。古き善きアメリカにマッチョに育ち、その後の暗黒の時代に心の傷を負う。沢山は語られなくても、彼がどんな人生を送ってきたか、どんな苦悩を抱えているのか、映像に無くても目に浮かんできます。

それもこれも、人物設定の確かさと、脚本の質によるものだと思います。ウィリーだけでなく、他の登場人物も正当で誇張が無く、うそ臭さがありません。父親がフォードの自動車工だったにも関わらず、トヨタのディーラをしている息子。何を言っても父親とはかみ合わない。愛妻が自分亡き後のことを心配して、夫のことを頼んだ若き神父。ルネッサンス絵画のような浮世離れした風貌で生と死を語りウィリーの心を開こうとしますが、“何も知らない”と受け入れてもらえない。モン族の娘スーは、アメリカ生まれのアメリカ育ちですが、アジア系難民の娘であるという立場をよく理解している。彼女の家族や近所のチンピラ達。ひとりひとりの登場人物を通して、時代の流れとジェネレーションギャップ、家族の問題、文化の違い、そして社会問題も浮かび上がってきます。

人生の決着のつけ方を見つけられない老人と、人生をどう始めたらいいかわからない少年。二人の人生が一時交わり、道を開いていく。最後は、彼の贖罪なのでしょうか。エンドロールに映る、グラン・トリノが走り去ったあとの道路を見ながら、じんわりいろんなことを考えてしまいました。