この夏、伯母が亡くなった。子供の頃、この伯母と母方の実家がある海辺の町で、夏の長い間を過ごした。
よく海水浴に出かけた海は、夏になると海の家が出て海水浴客で賑わっていたが、この夏の終わりに訪れた海岸は、ひっそりとしていた。
ビニールのマットで波乗りをしたり、ただただ寄せては返す波を眺めたりた海。波と潮流は延々と続くが、同じ形であることはない。海の色も同じであることはない。
楽しい夏の時間は毎年間違いなくやって来て、潮の満ち引きのように毎年訪れる永遠に続くように思われた。しかし、いつの間にかその夏の時間はとぎれ、海の泡のように消えてしまった。
お葬式の時、従兄が見せてくれた伯母の若い頃の写真のなかに、伯母の叔父の妻である、ウチの祖母が写っていた。お正月に日本髪を結って、東京の親戚の何人かと二重橋前でとった写真だった。
以前伯母に、叔父さん夫婦には子供の頃から可愛がられたのよ、という話を聞いたことを思い出した。新婚旅行までついて行ったという。
従兄姉たちは、全くそのことを知らなかったし、語ることのできる兄弟姉妹もみんな亡くなってしまった。
しかし、残された一枚の写真が語り始めた。節目の夏に、写真が遠くなった記憶をつなぎ合わせた。
その夫婦には子供がなく、伯母の弟である私の父が養子に入った。
父は伯母の子供たちを可愛がった。東京に来るたびに泊めてもらたり、おしゃれな洋服などをお土産にもらったりしたという。そして、伯母はわたしたちを可愛がってくれた。
伯母の家から、毎日海に通った。大人たちの間では、色々複雑なことがあっただろう。でも、私と弟はただただ無心に夏を楽しんだ。
寄せては返す波のような、人の繋がり。煌めく夏の思い出。