こぶー休息中!

引っ越して来ました。おばブーの旅(主に香港)と映画の日々。

喪失と回復

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先週の日曜日、92歳の祖母が他界しました。前日までは、いつもの通り生活していたのです。
眠るように、静かに逝ってしまいました。特に病気があったわけでもなく、ただ静かに肉体が寿命を
迎えたようです。
 
早くに夫を亡くし、父と二人で店を続けた祖母。葬儀には、思った以上に祖母に関わった方たちが
集まっていました。この一週間はいろいろあって、喪失感を感じることが多かったのですが、祖母との
思い出がたくさん蘇り、心に残る葬儀となって本当に良かったと思うことができました。
 
祖母の葬儀の翌日、今回の大震災がやってきました。関東大震災を経験した祖母。大きな揺れが来て、
茶碗を持ったまま家を飛びだしたという話を聞いたことがありました。もう、怖い思いをしなくていいよと
50年以上も先に逝った祖父が迎えに来たのかもしれないなどと思ってしまいました。
 
私自身は、会社で地震に会いました。当日は籠城を覚悟しましたが、私のウチの方面に行く都営地下鉄
夜9時半ごろに運行を開始。赤坂見附から新橋までなんとか徒歩でたどり着き、ウチに帰ることができました。
ウチにたどり着くまで、ケータイでは家族とは連絡がつきませんでした。唯一、会社のメールから母に
送ったメールが届き、返事をもらうことができました。
 
新橋までの道は、帰宅難民の人達でいっぱい。一般道も渋滞して、バスは運行していたものの、ちっとも
先に進まない様子でした。新橋駅では、帰宅をあきらめた人達が、敷物を敷いて横になっていました。
翌日東京駅では、駅で一夜を過ごした人々が大勢座っておりました。東北新幹線は、運行のめどが
たたず、多くの人達が座り込んでいました。
 
怖い思いをし、いろいろ不便はあったものの、それでも東北の方々が目の当たりにした恐怖と悲しみは
比べ物にならないでしょう。今まで目にしたことのないような、想像を絶する光景でしたから。
まだまだ余震も続き、事故も続いています。家族に会えない人々、取り残された人々、またこれからの生活の
ことなどを考えると胸が苦しくなります。
 
この未曽有の大震災においては、まだまだ何が起こるかわからず、被災者の方々にも、日本人にも、
乗り越えなければならない試練がこれからたくさんあると思います。私も日本人の一人として
誇りを持ち、試練を乗り越える手助けができないかと心から思います。