ご訪問者もうすぐ50000人記念 あの暑い夏の香港
このブログを始めることとなったきっかけは、2005年、香港中文大学の語学研修
プログラムに参加することとなったからでした。
あれから干支がひとまわり。細々と続けてきたので気がつかなかったけれど
ご訪問者がもうすぐ延べ50,000人となるところでした。
あれから何度、香港へ行ったでしょう。それから他の土地にも。
変わっていくものもあり、変わらないものもあり、あのころよく会っていた人も
今は遠くに行ってしまっていたり、会えなくなったり。このブログを始めてから
出会った人もあり。続けていることもあり、やめてしまったこともあり、
新しく始めたこともあり。
この年は、香港も東京も暑い夏でした。
香港といっても、大学は山の上。自分がどこにいるのか忘れてしまいそうなくらい
静かなところでした。
ついてから、毎晩のように激しい雷雨がありました。
昼間はお天気なので、洗濯物して干しとくんだけど、
海に近くて湿気が多いせいか、夕方になっても湿っぽいこともあり。
また、水質のせいか、ちょっとしたシミが落ちなかったり。
学生寮の部屋は日当たりが良くて、早朝から気温が上がり
冷房つけないと眠れないぐらい。でも、1日の冷房使用時間に
制限があったので気をつけて使わないといけなかったなあ。
ほんの12年まえのことだけど、通信環境は今と大分違ってて
今みたいなFreeのWiFiなんてなくて、プロバイダーが契約してる
海外のアクセスポイントが近くにあるところを探して
ノートパソコンかかえて行って通信していたのでした。
よく、沙田のDeli FranceとかPacific Coffeに行ったなあ。
ホテルの有線LANはかなり普及してましたけど。
スマホはもちろんなくて、まだ出たての海外からの通話が可能な
おまけに写メ(死語?)のクオリティもイマイチでしたね。
それでも、この年よりほんの数年まえまでは、ホテルのアナログ回線に
PC繋げて通信したり、それより前はネットカフェにお世話になったり
してましたね。
でも、私がオーストラリアでふらふらしていた1990年代には、ノートパソコンは
おろか、携帯ももちろんありませんでしたから。よく、母や友達に
手紙や絵葉書書いていたなあ~。
時代は怒涛のように流れていきます。
翌年のパリでは、自分の携帯が海外通信可能なものになっておりました。
夕方エッフェル塔近くのパノラマ光景を見ていたら、日本からの着信がありました。
通話主の声と夕方のエッフェル塔、今でもよく覚えています。
でも、本当の意味で繋がっているのかな。
あのとき毎日見ていた風景、まだ残っているのかな。