こぶー休息中!

引っ越して来ました。おばブーの旅(主に香港)と映画の日々。

回到過去 1994年12月/2005年8月上海

私が初めて降り立った海外の地は、上海でした。それも、晴海から3日がかりで船で行った上海。
1981年3月のことでした。
 
朝起きると揚子江河口付近に船が近づき、それまでネイビーブルーだった海の色が、河から流れる
水と混じった濁った茶色になっていました。
 
団体行動で、上海の学校を訪問したり、上海雑技団を見たり、動物園でパンダを見たことぐらいで
あまり街の様子は覚えていません。その時の写真の中にも、上海の街の様子はみあたりませんでした。
中国の開放政策が始まったころとはいえ、まだまだ人々は人民服姿で街の百貨店ではショウケースに
品物が並んでいますが、手に取ることはできず欲しいものはたのんで出してもらい、お支払いは紙を
持ってお支払いの場所へ、なんて感じだったのを覚えています。
 
その後、上海の地を踏んだのは、1994年12月。当時の地図を見ると、初めての地下鉄路線がまだ工事中。
社会主義市場経済体制の元、街の様子はだいぶ賑やかでしたが、まだまだ発展途上。マックやケンタッキーが
進出し始めたころで、行列ができていました。スタバはまだなし。普通においしいコーヒーを飲むために、
ホテルに行くって感じでした。
 
そして、3回目の上海は2005年8月。すっかり発展した上海を目にしました。
 
1994年12月当時の外灘の様子はこんな感じ。
 
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そして2005年8月の外灘。
 
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ビルが増え、冬と夏というさもあるかもしれませんが、人々の様子も明るくあかぬけた感じをうけました。
 
そして、1994年当時の浦東。
 
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何にもありませんが、明珠台のタワーだけが出来上がっていました。
 
2005年の上海。もちろん、高層ビルが立ち並ぶ浦東。でもこの写真も、すっかり昔の写真になっています。
“せんぬき”ビルがありませんよね。
 
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開放政策の先鋒として、急激な発展を遂げた上海。この30年あまりの変化は、日本の戦後30年あまりに
匹敵するだけの変化であったことでしょう。政策も思想も経済も、考えられないくらいの変化があったでしょう。
 
そして、上海万博が開幕。いろいろな報道がありますが、おもしろいなあと思ったのは、街中の洗濯物の話。
相変わらず、街中に洗濯物だの布団だのを干しまくっているようで、政府からの指導が出ているらしいですね。
 
1994年当時、モダンな花園飯店を望む街中に、どうどうとパンツ干してあったのを思い出しました。
スローガンと、パンツと、花園飯店の取り合わせが面白くて、写真撮ってました。
外からやってくる思想や経済なんかは変わってしまうものですが、人々の生活感や習慣なんていうものは
意外と変わらないものなのかもしれません。
 
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