アジアの辺境からユーラシアの時と人の流れを思う
先場所優勝したモンゴル人関取のインタビューで、”遊牧民のご家庭の出身と伺いましたが、どのような生活を”という質問に”お休みの時におじいちゃんのところで馬に乗ったり”という答えを返していました。
今や、遊牧民の子供は学校に通うために親と一緒に都会で生活をしているのだという事実は、日本人には知られておらず、インタビューをしたアナウンサーにしてみれば、少年が日常馬で草原を駆け巡っている図を想像していたのではないかと思います。
もちろん、騎馬により彼の体幹が鍛えられていたことには間違いないですが。
先日伺ったハウリンバヤルという在日モンゴル人の方々が主催のイベントで、少年たちのモンゴル相撲を見ました。見た目は日本人と変わらないけど、日本育ちで馬に乗ることもないだろうけど、逞しくみえたのは遊牧で歴史をつくってきたモンゴル人の遺伝子と誇りではないでしょうか。
以前の記事にも書きましたが、騎馬を始めたのはスキタイという人々で、匈奴にその技術をもたらし、遊牧民が騎馬遊牧民となってユーラシアに広がっていったようです。スキタイの技術は金属加工にも及びます。
昨年から今年の初頭にかけて読書会で読んでいた「オデュッセイア」の中で、オデュッセウスの弓の注釈に、スキタイの弓という記述がありました。
広大な土地・距離という横軸と、時間という縦軸。様々な技術が様々な人々の手を経て、大陸の東西に広がっていったのです。そんなことを想像してると、旅をしたくなりますねえ。
ちょっと話しがかわりますが、同じ読書会でギリシャ神話がらみでMadeline Miller の"Song of Achilles"を面白く読ませていいただきました。創作とはいえ、「イリアス」に絡む人物や神々が軸になり、個々のキャラクターが現代の我々にも見えてくる。
ちょっと気になったのはCeder of Eastを日本語訳(「アキレウスの歌」訳 川副智子)のほうでは”ヒマラヤ杉”としていたところ。古代ギリシャにおいて、”東方の杉”がヒマラヤを指すのかどうか。ヒマラヤというサンスクリットからきた地名がその時代に使われるべき言葉なのかどうか。
古代ギリシアから見て東だとレバノン杉あたりが妥当かもしれませんが、レバノンという言葉も違うかもしれませんね。
これも、横軸と縦軸。その位置的関係や時代にあう言葉を探し、今の時代でもわかるようにする。文芸翻訳っていうのも難しいですねえ。