どうも最近内向きで、映画を見る気にもなかなかなれず、本ばかり読んでいました。
自分をシャキっとさせるような言葉ばかり探して。なかなかシャキっとするまでは
たどりつきませんが、言葉の力っていいもんだと思います。人間は言葉を獲得したからこそ
複雑な思考力を発展することができたということもありますが、言葉は“言霊”と
いうように不思議に人間に作用します。
今日読んでた斉藤孝さんの本のなかで、こんな問いかけがありました。
<あなたは今、そらでスッと口に出せる誰かの言葉がありますか?>
「ガウディの伝言」の中で、外尾悦朗さんが、大窓のフルーツの彫刻をしたときに考えたことを
こう書いています。
こうして日本語で書いているとよく分かりますが、日本語では言葉を「言う葉」「言の葉」と
書きます。私は今たくさんの言葉を送り出している。しかし、葉っぱそのものを届けたい
わけではありません。自分の中にあるガウディから学んだ知恵、サグラダ・ファミリアを
作りながら育んできた思い、石を彫りながら膨らませたイメージ...。つまり私が人生で
得た「実り」を皆さんと共有したいわけです。それを造形や絵画、音楽などで表現する
こともできますが、日常的には言葉を使います。自分の中にある実を相手の心に実らせようと
思ったら、たくさんの言葉を費やさなければいけません。もどかしく感じることもありますが、
そうすることで、自分の中にあるよりも大きな実を、相手の中に実らせることができるかも
しれない。そしてまた、その人から誰かへ、言の葉を費やして実りが広がっていくかもしれない。
そういうことを願っているわけです。
ちょっとソラでは言えませんが、去年読んだ本の中ではピカいちに心にのこっています。
文章で表現するのも、彫刻や絵画で表現するのも、誰かに何かを伝えたいという心は同じです。